ちょっと遅くなったけれども、青木淳のJUN AOKI COMPLETE WORKS[1]を買う。


基本的にBは傑作だなと思う。シークエンシャルに空間が出現していって
それがループのように繰り返されている。これは青木淳の作品に概して共通していることだけれど
なんというか、すごく圧倒的。彼の作品の持つある種の不完全さとの、このギャップは何なんだろう。
ヴィトンの一連の作品と、その他の作家性で押し切れる作品にもかなりの断絶がある。
つまりヴィトンでは、抜けの無い緻密な表層操作ができている事からも
どうもほかのものに共通する、突き放した素材感は意図的だなと思う。
それが感じられるのが、プロジェクトで終わったらしい住宅作品の模型。
カバが大口あけてる写真の切り抜きや、シロクマの人形が平気で建築模型に出てくる。
すごい戦略的なんだろうな。彼の作品を分かりにくくしている。本質が見えてこない。
定型化しない、流動的な造形感覚。正直異様。にもかかわらず、近づきたくなる衝動。
ある種、天才的。なんでこんなに凄いんだろうか。


ああいう作り方がしてみたい。でもできない。ジレンマ。
まねできるとか、考えない方がいいんだろうけど。
金曜は二週ぶりにエスキースに出てみて、少し後悔したりもする。
他人を気にしては駄目だな。理論とか、そういうのはどうでも良くなった感はある。
空間まずありきで、昨日から模型でスタディ。すぐそこまで見えかかっているのに
見えてこない。すごくリキッドな空間とソリッドな空間。
その中間のギリギリのラインで揺れてみたいのに、すこしやると揺れすぎる。


新撰組の最終回。詰めが甘かったけれど、良かったと思う。
というか、コメディーで流したい欲求と、感動させたい圧力の葛藤というべきか。
お涙ちょうだい系の演出だったけれど、結局三谷幸喜の描くシンクロしやすい近藤勇
呑まれてしまうという。さすがと言うべき、計算された演出能力。
それが嫌みにならないギリギリのラインできちんと押さえられている。
売れっ子演出家の肩書きはダテじゃないということでしょう。
6年間の活躍だけで歴史に名を刻んだ新撰組。すこし憧れる。
完全に去勢された現代人には多分に見習うべきところがある。
激動を駆け抜けた人たちみんな、生き方に対して正直で、カッコいい。