カーサブルータスの世代

a+uとか新建築とかを買わないでカーサブルータスを買う建築学科の学生って意外と多い気がする。いや、実際統計とったわけでもなくて、ともだちの一人がキャンパスのベンチで呼んでるのを見ただけなんだけど、イメージ的に彼は絶対建築専門誌は買っていないんじゃないかなあと。そういうイメージの人なのです。


カーサブルータスが提供してくれるのはきれいな建築のイメージである。安藤忠雄やらコルビュジェなどを頂点とする構図。何が良いか何が悪いかっていう議論を避けて、美しい写真をのせる。賛辞をつらつらと書き並べる。これを真に受けるか否かは本人の問題だとしても、そこに本質的な議論はないわけだ。ものごとを判断するには尺度が必要となる。それは本来、人によって様々なはずなのにそういう前提となる知識やその拾得を飛び越えて、結論に達するところに問題があるんじゃないか。良い悪いが感覚の問題にしかならなくて「安藤忠雄ってなんとなく嫌い」とかなるわけだ。建築専攻の学生ですら。これは別に建築に限ったことではないし、情報化社会全般に渡る問題だと思う。さらにいうなら昔からこういうことは存在したはずなんだけど、カーサブルータスの出現でいっそうイメージ化が加速された面は否めないんじゃないか。自分の頭で考えることをしない。もはやワイドショーみたいなもんである。CADとかPCの普及でプレゼンテーションだけはどんどん洗練したて美しくなっていく反面、内容の幼稚さが余計目につく。例えば建築で人を制御しようとしたりする。でもそれは近代建築の失敗そのものでしかない。建築を上位、人は下位。まるで近代都市計画の俯瞰パースのようでさえある。


一昔前の世代の人たちが「丹下健三の代々木体育館に憧れて」とかいうのと同じ意味で「カーサブルータス見て憧れて」っていう世代な気がするなあ、僕らは。