昨日は神南サロンと言うカフェのフィナーレ。渋谷の中でも、貴重な場所だったのではないかと思っています。雑居ビルの狭い一室に過ぎないあそこを、あそこまで魅力的な空間にし得たものは何だったのかと考えます。こんどあそこに行ったら、たぶんがらんどうの部屋が残されているか、もしくはまったく違う場所へと様変わりしているのでしょう。そのときにたぶん喪失の実感をあらためて感じるんじゃないでしょうか。これは今の僕にとってとても大事な事柄で、建築をやっていくか建築をやめるのかという問題に直結しそうな気が今はしています。


大切な場所があって、でも時間とともに変化せざるを得ないというのは、場所さえも物質的で経済的なものへと還元されざるを得ない東京という場所においてはしょうがないことです。そのときにそこを、苦し紛れに保存という大義のもとにガラスの箱に押し込めてしまって良いのかと考えます。どういうふうにしたって、もうそれは昨日のそれではないからです、当たり前のことながら。大切なことは、それを忘れないでいようとすることなんじゃないかなと思います。どんどん消え失せてしまう記憶だけれど、何らかのかたちで記憶の中にとどめることができれば、もしかしたらそれがその場所が、確かに存在していたということの意味を証明することになるんじゃないか。


でも記憶の残滓を、感じられるような空間があったとするならば、それは保存ということの意味も出てくるのかもしれません。


ともあれ、今の僕にはまだまだわからないことだらけです。


ロストイントランスレーションを観ました。
日本人の滑稽さと同時に外人の滑稽さもあったような気がする。
どちらが正しいということではないんだなあと。
ただラストの心地よさは秀逸。全体の構成は微妙かな。つくりがやや雑。