大学での勉強

体系的に建築を勉強している訳ではない。そういう大学ではないのである。実学というより哲学的な建築。一応工学部系に属して入るけれど、まあそんなもんである。


本来的に学問はそういうものだとしても、手探り状態で勉強するのは時としてつらい。いまはインターネットがあるからもはや情報は過剰に、それも適切な情報の選別作業を強いられる。こういう時代はひどく面倒くさい。カリスマ無きスーパーフラットな時代。自分がたつべき足場すら与えられていない状態ではひどく偏った思考を身につけるかもしれないという恐怖もある。


というわけで近代建築、西洋の大枠の流れまではなんとなく理解したつもりだけれど、結局それと日本の近代建築史はなかなかつながっていないし、ポストモダンもどこか理解しがたい風潮だと思うし、ただ明確にあるのはスーパーフラットな時代へのなにか形容しがたい反発だけなのである。塚本由晴千葉学とか、そういう若手は未来を提示してはくれない。あるのは諦念だけだ。それはささやかな未来なのかもしれないけれど、日本に蔓延しているこのムードにはいささか参っている。上の世代は上の世代で、もういいやっていう感じ。


でもじゃあどうしたいかいうビジョンもない。そもそも机の上で教えられる建築がリアリティを持ち得る時代なんてとうに終わっちゃってる以上、もう建築はアート化するしかないのかもしれない。すくなくとも大学では。