イノセンス

つまりいろいろな種類の専門家がくそまじめにアニメーションについて語る。もはやアニメーションはアートや哲学、文学作品と等価な位置づけにおかれている。


でもまあアニメーションの中で唯一、非オタク系として認められるのは今までもこれから先も当分はジブリかディズニーくらいだろうな。こういうネタふると結構みんなびっくりするからなあ、俺の世代でも。そもそもアニメ=オタク=マニアック=オシャレじゃないみたいな思考回路の持ち主って結構多いし。ようはオシャレって言うのもすごく閉じている。非オシャレなひとをどこか差別的に見る傾向がある。おおむねオタク=非オシャレだし。でもオタクとオシャレはほとんど違いがない。極端な話、オシャレはリアルな異性を意識、オタクは2Dの異性を意識した結果にすぎない。


でもなんか押井作品は純粋なアニメオタク的にはNGだってどこかで読んだけど。ふむ。今敏が《パーフェクトブルー》のDVDで語っていたオタクの持つ美少女とロボット指向。そういうのまったくないもんなあ。緻密な世界設定。バーチャルなアニメーションの世界は美少女アニメには求められてないんだろう。古くなるけどエヴァは結局、人間の相対関係という抽象にSFっていう実体を与えたものにすぎなかった。おそらく監督も意識していたからこそ、まともなストーリーとしての完結をテレビ版でも映画版でも与えなかったんだと思うし、究極的な人間関係、つまり男と女っていう形に還元してさらに世界を崩壊させちゃった。そういう意味では、《イノセンス》よりもっと文学指向が強いはずなんだけどな。


五十嵐太郎イノセンスの建築解説。
http://www.innocence-movie.jp/comingsoon/ji_iga.html

コンビニが虚構の世界と現実の世界とつなぎとめる装置なのだ

この辺のくだりは、まさにコンビニが宮崎駿以降の世代のリアル(生活そのものの象徴)であって古き日本の自然(語弊があるか・・)とコンビニが等価だということ。


ちなみに《たそがれ清兵衛》がなんで今人の心を引きつけるのかって言うことにもつながる。古き良き時代の世界観やスケール感にどこか憧れてる。アウトドアブームなんかで求めていたものは実は自分たちが高度経済成長で捨て去ってしまったってことなんだってこと。ある意味戦後日本の存在を揺るがしかねない。