大崎善生の《アジアンタムブルー》を久しぶりに読んだ。とくに理由はなかったんだけど。なぜか同じ日にYoshiの《deep love》という作品の存在を知った。大崎善生は特にストーリー性が優れている訳でもないし《アジアンタムブルー》は末期癌で死ぬ恋人をめぐるあるエロ雑誌編集者の話というまあ典型的な泣き要素を含む小説なんだけど、それでも読ませる。文章の品がいい。ある事柄があって、それを文章化するってことはどういう風に抽象化して、抽出するかということだ。その感性がとても良い。さらっとした文章でとくに凝っている訳じゃなくて、そこが良い。《ロックンロール》はちょっと力を抜きすぎている気がしないでもないけど、《パイロットフィッシュ》《九月の四分の一》も素晴らしい。


それに比べて《deep love》。存在自体は否定しないけど、こういう小説が流行るっていうのが興味深い。chikiさんがhttp://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040330

東浩紀さんはアニメの「萌え」という概念を使って、現代(ポストモダン)の新たな構造を示しましたが

と言っているご指摘はまったくもって興味深い。というか同じ事を考えていました。


どうでも良いのですが、世の中にはもっと良い小説がたくさんあるってことを知って頂きたいものです。(まあここらへんは主観と言えば主観だから。個人的に勝手に思っているってだけですけどね)大崎善生の作品を映画化なんてご免ですけど。


あとはYoshiって人のプロモーション活動自体が含みを感じさせて凄く嫌い。小説も映画も連ドラも、彼にとってはすべて自分が有名になるための単なる道具でしかないんだろうなあってことです。そこには“我”しかない。映画を全国で上映するためにご協力下さいって、作者本人がそういうことをしますかね、普通。こういう作家(便宜的にこういう表現にしますが)の在り方自体は新しいものですがね。なんとなく耳が痛い話でもありますが。