勉強

どうしようもない空白感、空虚感は、これからあらゆる建築が、今後出来上がっていく過程の中で背負っていかなきゃならないはずです。(『世紀末の思想と建築』 磯崎新多木浩二 岩波書店 1991年)

まさに今を予言していたと言える。磯崎新の先見性。

ロマン主義的な天才の時代は遠の昔に終わっている。ほとんど忘れられたような頃になってこのような表現主義的な建築が現れ出したのは、天才が復権したからではもちろんなく、建築がもはや表現すべき主題を喪い、表現の強度を保とうとすれば、いきおい建築家個人が表出されざるを得なくなったからである。(『20世紀建築研究』 森川嘉一郎 INAX出版 1998年)

巨大なオブジェにしかなり得なくなったということ。

「ハイ・アートとしての建築」そのものの成立基盤が失われた結果、建築家が効力のあるものを作ろうとする際に、大衆のコードに訴えざるをえなくなったことの帰結である。(『20世紀建築研究』 森川嘉一郎 INAX出版 1998年)

アメリカでのはなし。ルーツは1979年のフィリップ・ジョンソンにはじまり、1990年前後に一気に建築家が、いわゆるブランド化することになった。つまり日本の今に近いことが早くも起こっていたと言えるのか。

芝居の書割りのごとく、現実から切断されてのみ存在しうる。来る人たち、すなわちマーケットが望めば如何様にでもその身なりを変容させていくやり方は、まるで日々変わっていく舞台装置のようなものだ。つくるほうもそこにやってくる人間も、それがつくりごとであることを承知の上でそれを受け入れる。(中略)虚構を虚構といわない約束事は、資本主義の隠れた約束事なのかもしれない。建築は、商品がもっとも効率よく、高い代価に変わるための装置となった。初期投資である建築は、金利とにらめっこで、早くその生み出す価値が回収されなければならない。短期的な目的を達成するために、空間の振舞いはなりふり構わず虚構化した。(中略)建築そのものの価値は、金利に連動して、短い時間で建て、売り、次に展開していくキャッシュフローの中で、不動産であるにもかかわらず、流動資産化するプロセスであったといえる。この中で建築は、車や電化製品のように、一挙に耐久消費財化したのである。(中略)平たくいえば要領よくつくって高く売りたい、ということだ。(『建築のはじまりに向かって』 内藤廣 王国社 1999年)

1970年代以降の建築の『解体』やポスト・モダンの戦略のひとつに、メディアや商品化の概念や手法を取り入れたものがある。モダニズム建築や「建築」の概念では、それらが動かぬ普遍のものであることが前提とされていたのに対して、流通し消費されるものとしてのメディアや商品助けを得ながら、建築を「解体」あるいは「拡張」しようとしたのであった。だがそこには建築が自律性を失い、ただ商品として消費されてしまうという問題が待ち受けていた。(『建築の終わり』 岸和郎北山恒内藤廣 TOTO出版 2003年)

もう一つの流れ。ポストモダンポストモダンそのものは内藤廣が『建築のはじまりに向かって』で言うように教条主義的な側面を持つモダニズムを使う人の側から変えようとした運動なわけである。それが表層的なデザインのゲームになってしまったこと。つまり言ってしまえばなんでもありなんだから、逆に言うとすごくコピーしやすかったってことか。その基本には、消費者へ迎合することがあったといえる。