東京

東京を語るのは難しい。


どんなに雑多で汚い風景であっても、それ自体が価値を持ってしまうのだ。バラックのような都市を、僕らはどこかで肯定してしまう。それは終戦直後の廃墟の記憶なのか。高層ビルに反感を抱くということと、東京のバラック的な風景を肯定してしまうことには、ある種のつながりがあるのだろう。高層ビルには、それ自体の存在が持つ普遍的な傲慢さというものが存在するし、それ故に人間スケールの、理解できる光景、透明な認識をどこかにもとめているのかもしれない。消え行くものに対して、無責任なまでの哀愁を覚える、日本人の性なのか。


ここで少し立ち止まってみる必要があるだろう。何が価値があって何が価値がないのかということ。情緒がすべてではないからだ。情緒ばかりに目をやることで、もっと根源的ななにかを見失ってしまう可能性がある。


日本の都市は本質的に破壊と再生の連鎖によって形成されてきた。その破壊と再生の歴史を無視したままに、現在を保存することはできない。価値のある空間とは何だろう。残すべきものとは何だろう。つくるという行為は、もっと前を見るべきである。人は、やはり作ることでしか前には進めないのだから。


保存という言葉を否定するのは非常に難しい。