イラクの邦人人質事件

どうしてああなるのか。みんな善人のふりして、結局彼らの人生を、報道を通して消費している。善人、かわいそうな被害者、馬鹿なボランティア、無責任な大人、非国民、報道でぼろぼろにされた気の毒な人たち。彼らにまつわる語り尽くされたイメージ。それもほんの数日の間にである。商品としてしか情報を扱えないメディアは都合のいい立ち回り。自分達の主張なんて皆無で、ときに消費者に操られ、ときに消費者をあやつる。ゲームですよ、ゲーム。所詮僕らは、世界のどこで何があっても自分たちの暮らしぶりに無関係なんだってことを知ってるから、ああいう消費の仕方ができるのである。骨の髄までしゃぶりついて、飽きたらまたほかに行くだけの欲望が野放しになった情報化社会。自由と言う錦の御旗を掲げて僕らはどこへ向かうのか。


イスラムの事情をぼくは全く知らないけれど、その知らない何かが彼らをああいうふうに立ち回らせているってことはわかる。派遣された自衛隊員が出向いたのは、間違いなくそういう場所であって、それを今更のごとく蒸し返して問題視するのは平和ぼけした日本人の体質そのままであろう。自衛隊とかそういうのも関係なく、あそこの地を踏む日本人はだれだってそういう可能性があるのだって言うことだ。それを、自衛隊員だからとか、非自衛隊員だからという理由で人の生死の問題を割り切ってしまえることが果たしてできるのか。おそらくできない。できないからこそ危険であって、主権者たる国民はまさにその当事者である。


それにしてもあの事件の加熱ぶりには驚かされた。というよりいつも驚かされる。オウムにはじまり、神戸の児童殺害事件、9.11などなど。間近にそれで一喜一憂する大人がいるけれど、その感覚が理解できない。そのくせ器用に現実の社会をするすると生きてゆける、そのハイブリッドな精神構造。


世の中は複雑である。